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ラストステージ

歌うこと、について書こうとおもう。

歌は、おれの逃避であるのかもしれない。
たとえば期末テスト前の一夜漬けで単語や漢字を暗記するのが厭になると、決まってそのへんのアルバムの歌詞を片っ端から覚えていった。
書くものに行き詰まって酔っぱらうと、古いギターをとりだして、簡単なコードしか押さえられないくせにでたらめな伴奏で唄う。おれは、おれのために唄う。
なのにいつしか、おれはスポットライトを浴びて唄うことに憧れていた。

ステージに立ってみて初めて、歌をうたって生きている友人たちの覚悟を知る。みんな楽しくて楽しくてしかたないように歌っているように思っていたが、その裏の苦悶を垣間見た気がした。
おれは、唄うことに人生を捧げて生きてきてはいない。ミュージシャンたちと同じステージに立つなんておこがましいことだ。
でもおれは、唄うのが好きだ。

小学生のころ、自分で曲を作ることができるのか試してみたことがあった。自分でかいた歌は単調で平凡で、おれにゃ音楽の才能はないと諦めた。
それなら文章を書く才能ならあるのか? おれにはわからない。でも、書かずには生きられないので書いている。
「長い文章が書けるひとの頭のなかがどうなっているのかわからない」と言われることはあるけれど、おれは曲をかけるひとの頭のなかの構造がわからない。詩を書くのだって難しい。おれは韻を踏みそこなって、やたらに不協和音を並べてみることぐらいしかできない。

浅川マキの歌が好きだ。それから、昭和の古い歌謡曲も。
同世代とカラオケに行くとおれ一人が浮いてしまう。ひとまわりやふたまわり上の先輩達と一緒でも駄目。
それでも最近、浅川マキや友川かずきが好きという三十代に何人か出くわして、おれはちょっとほっとしている。古い唄をうたい継ぐ若者がいてもいいだろう。そんな唄にとらわれる世代があってもいいだろう。場末の酒場でがなっているくらいが、おれには丁度良いのかもしれない。

浅川マキがビリー・ホリディにとらわれていたように、おれは彼女の歌を唄う。メジャーコードの希望に満ちた曲はおれのなかをすり抜けていってしまう。暗い曲調のなかに、おれはこの身を沈めてゆく。

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 ビリー・ホリディは、いくつかのブルースと「奇妙な果実」以外は、ほとんど当時の流行歌しか唄わなかった。
 しかしビリーの口をついて出る時、それはみんなブルースだ。
((浅川マキ「ビリーなら今頃どっかの港町」『こんな風に過ぎて行くのなら』石風社 2003. 7))
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おれは自分の歌なんて唄えないのかもしれないが、おれの口から出たとき、それらがただの古い唄ではなくなることを願っている。

10月13日をもって、おれはyamachanのバックバンドから降りることに決まりました。
音楽で生きてきた人たちと同じステージに立つにはおれの技術はあまりにも未熟。そして、おれの持っている雰囲気は、yamachanの歌に残念だけど馴染まない。
そんなわけで、おれがバンドで歌うのはこれが最後です。
歌う機会をくれたyamachanに感謝。

LIVE詳細は、Facebookにて。

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母の友人だった青年は、いつも両耳にじゃらじゃらとピアスをしていた。それ以上空けるところが無いくらいたくさん。軟骨の部分にも。

端から見たらただのちゃらちゃらした青年にしか見えないだろう。細身で、いつも黒い服を着ていた。でもその装いは、彼の御守りのようなものであることがおれにはわかった。彼はたぶん、そのピアスをつけていなくては日常生活を送れない。彼の目にはあまりにも多くのものが映り過ぎる。生きている人の念も、死んだ人の念も。

ただの金属に力があるのかどうか、おれにはわからない。ようは、自分の精神を切り替えられればいいのだ。ピアスをはめることで彼は、その強すぎる感覚を制御する。

二十歳になった夏、おれは自分の耳に穴を空けた。

振袖を着て写真を撮ることにおれは意味を見いだせない。血の滴る耳朶こそが、おれ自身の通過儀礼だ。さようなら、少女の夏。おれは女として街に新しい足跡をつける。ファーストピアスは赤い石のイミテーション。そう、誕生石ならルビーなの。

大家さんに結婚の報告をする。

 「あら、旦那様のお勤めは塾? 帰りが遅くて大変ねえ。栄養のあるご飯つくって差し上げてね」

「ご長男なの? それじゃあアナタもじきに家にはいるんでしょう? 先に子どもつくったほうがいいわよー。その方が受け入れてもらいやすいわよ」

 おれは呆気にとられつつ、苦笑いで適当に相槌を打つ。そうか、おれの棲んでいる世界は、まだそういうところだったのか。

 結婚したら「妻が毎晩夕飯をつくる」「男の家にはいって後継ぎを産む」。

女性の手帳にも驚いたけれど、この国の女の価値は未だに、家を守って後継を産むこと、であるらしい。そしてそのための婚姻制度。なるほどね。だから同性の結婚も、夫婦別姓すら、今の日本では実現できないのね。

 岡本太郎が敏子を妻ではなく養子とした思いがおれにはわかるような気がする。日本国家の法律の下で、家族として保証されればそれでいい。妻なんていう社会通念に愛する女を縛り付けなくてもいいのだ。

母親を亡くすというのは、ある意味では解放だ。でもそれは、女にだけあてはまる感覚なのかもしれない。

「天国の母親に恥じないように生きたい」と男性の呑み仲間が言った。なるほど男と母親とは、死に別れてもイチャイチャの関係なのね、可愛いわねなんて思って笑ってしまった。ごめんね、笑ったりなんかして。

女にとって同性の親は、どんなに深い親子の愛情があっても根本的には敵なのだ。それは、「乗り越えていくべき存在」としての男にとっての父親とはまた別のものであると思う。

娘は母親の前で「女」であってはいけない。

母親よりも美しくなってはいけないし、魅力的になってはいけない。

母を亡くしたのは辛いことではあったけれど、おれはもう母親の娘を演じなくてよいのだと思うと、ほっとする。

母と居るときのおれは、母をより薄くしたようなコピーでしかなかった。母が死んで、おれはようやくおれとして生きられるし、人の道を踏み外すことも出来る。

おれの小説のなかで自意識に満ちた人物はぐるぐると廻る。苦悶、煩悶。

おれはそこから一歩離れたところで、俯瞰でその人を描ければいいのに、どうしても苦悶煩悶の渦のなかに飲込まれる。病的な程の自意識過剰。そうか、でもそこから始めないと、書けないのかも知れない。

「人前で醜い脚を出してはならぬ」というのは、我が家系に代々伝えられる家訓であった(と母が云っていた)。

確かに短く太いX脚は遺伝かもしれない。それがコンプレックスだった母は、祖母に「なんでこんな脚に産んだんだ!」と詰め寄った。「文句があるなら墓へ行って先祖に言え!」と言い返した祖母。さすがはおれの婆さんである。

決まりという決まりは破ってみたいのが青春だ。「よしなさい、そういう服は脚が長くて真っすぐな人の為にあるのだよ」と母にたしなめられても。なにくそと短パンをはき続ける。しかし出してはみたものの、おれの脚が美しいはずがない、とずっと思っていた。

始めて脚を褒めてくれたのはハタチの頃につき合っていた恋人だった。半信半疑で言われるままに、ハイヒールを履いてタイツをはき、短いタイトスカートをはいてみる。なるほど、太いだけだと思っていた脚から、そこはかとなくエロスが。ハイヒールとタイツは、ある程度肉感がないと似合わない。なるほどね。

女を美しくさせるのは自信であり、自信を与えるのは男の賞賛だ。あと、視線か。

エロさを演出するための露出は痛々しい。十代や二十代前半の肌見せは、痛々しい側に転びがちだ。出すなら潔く。健康的に。

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